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しこうの おどうぐばこ

人格を殺したら人間が溝に落ちて死んだ話

 

 

中学が女子校に入った辺りから、自分を下の名前で呼ばれることが違和感になってきた。

 

 

それから、それでってわけでは全くないんだけれど高校生の頃にブログを始めて、そこそこアルファになって、

そこで、リアルの関係とは全く切り離された、自分の裏の人格が生まれた。

(って言っても裏ってのは人格の陰を補完するヤベェ奴とかではなくて、単にもう他方の独立分が生まれたってわけ)

これは勉強関連で、JKだったのでリアルの情報は絶対にバレないように切り離してたし、中高に味方が1人もいないようなコミュニティを築いたから、リアルとアルファの人格が交差することも絶対に無かった。学校ではふつうに主としてすんでて、勉強の話になるとアルファの方で開くって感じ。

 

 

そして、大学に入って、小中高の同期1人も、ほんとに1人もいないところに入った。

知り合いなのは、勉強関連の僅かな僅かな塾の知り合いと、そしてそれから、ブログで繋がってた、同じ大学とかを目指してたような人たち。

この人たちと、大学に入ってから、「ブログの人」として、リアルで会うことも幾度かあった。自分が入った後にも、ブログを読んでた後輩の人なんかもぽつぽつ入ってきて、それとアルファだったから文化祭なんかで結構たくさんの人が「ブログの○○さん」として会ってくれる感じになった。

 

 

あと、大学に入る時期に、知り合いがあんまりにほんとにいないから怯えて、ツイッターでアカウントを作った。

そこで、そんなに規模はアルファじゃないけど、狭い大学界隈としか関わらないから、その中の一部では、ほどほどに話についていけるくらいには枝葉が広がったくらいになった。それと、大学に入ってから、大学で(≠ブログの読者,ブロガー仲間として)知り合った人たちとは、ツイッターのアカウントを見せて介して認識してもらったから、大学に入ってからのおともだちとか知り合いとかには、「ツイッターの△△」として呼んでもらえるようになった。大学の中では、知り合いの知り合いとかも「ツイッターの△△」として知ってる感じ。

 

 

それが合わさって、あと私が中高の同期と繋がりをむしろ積極的に切ったのもあって、自分の名前で呼ばれることはほんとになくなった。

元から、自分が下の名前で、それもちゃん付けで呼ばれることには違和感があったし、それに「ツイッターの△△さん」上を通して、性別をロゴとして押し出す/押し出されることに抵抗も強まってたから、それでほっとしてた。

 

毎日は、

「○○さん」とたまに呼ばれたら、ブログを知ってる人で、

「△△」って呼ばれるのが多くて、それは大学での一般的なお知り合いかそのツテの人、

自分の名字にさん付けされるのは週に何度かのバイトだけで、そしたらバイトのおはなしだなって分かった。

 

そんな風に、何て呼ばれるかで、その人がどこのお知り合いなのか、どこで私を知ったのか、

私のどこの情報のピースを持ってるのか、

がわかって住みよかった。

 

 

どこも無理して虚構をつくってるわけじゃなかったから、*自己の分裂がむずかしいとか、*複数かけもちがしんどいとかはなくて、

呼ばれ方をみて、

自分がどれとして対応すればいいのか、

相手とどんな距離で対応すればいいのか

がわかったから楽しかったしよかった。

 

ていうか、色々あって18になってからそれ以降の自分とそれまで高校までの自分に区切りがついてたから、以降の自分としては、

そう分けられてるし方がなじんでた。

 

 

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そしたら、この間先日に、「ツイッターの△△さん」がしんどくなって、まあ今までもそんなことはなくはなかったんだけど今回はその時のきもちのきぶん的にもアカウントを消すことにして、消した。

まあそれで、「△△さん」は死んだ。

 

周りの気づきと浸透には2ヶ月くらいかかったけど、アカウントがなくなったからそれで呼ぶ人が減った、特にクラスのみんなとか、私の本名を近く認識してる人とかは、私が自分の名前で呼ばれるのはあんまりって言ってるのも知ってて、名字で呼んでくれるようになったし、

それに私の方から、拠たるアカウントがなくなったんだから、「△△さん」で呼ぶのはへんでしょって言ってたから、やめてくれるようになった人もまあけっこう。

それで、じわじわ死んだ。というかこれはまあ消した時点で私の期するところ。

 

 

そいでそしたら、ブログのコミュニティはそのまま「ブログの○○さん」で続いてるし、一部の普段リアルから親しいおつきあい達は、同質なまま名字呼びに移行してこんてぃにゅしたんだけど、

ツイッターで知り合いになったような人だとか、あとはめっきり「ツイッターの△△」で認知して近づいた人たちとのかかわりが、よくわかんなくなっちもた。

 

こちらからしたら、死んだ人間の縁故と、他人が踏み込んでって挨拶してる感じ。憑依か?それともお葬式の法事か?

 

まあ遠目の向こうからしたらそれは死んだ双子の生き別れみたいなもんだし、私は総体の本体として同じ見た目と中身に見えてるんだろうけど、

こちらからすると、なんか、はぁまぁ兼ねてよりあの子からお話には聞いてよく知っておりますけども、って感じになってしまう。

こう、別に距離が今までから遠ざかるわけじゃないけど、娘がよく家で話してる、娘の学校でのお友だちみたいなもん。分かるかな。言ってる私も完全に言い得て妙してるわけじゃないんだけどさ。その人のことは本人並によく知ってるけど、私は本人とは違うから、今までと同じ距離で踏み込んでいけないのよ。あくまで娘と母みたいな。娘が死んでも、葬式で母がその友達に娘の代理で娘の距離では接さないでしょ。そんな感じ。こっちもよくよく知ってるし、相手も今まで通りよく知ってるのにね。

 

でも相手からすると、ツイッター繋がりで、「ツイッターの△△さん」として繋がったのに、その「△△」が剥がれてなくなったら、残りの私とはどういう顔してどういうつもりで付き合いを継続するんだろうか。って考える。

 

 

もちろんリアルの私はずっとあるし今も残ってるし、「ブログの○○さん」体は無傷で生きてるし、△△さんもリアル本体の私も嘘ついてないから中身は一緒なんだけど、

「△△さん」として付き合っていた私のお知り合い達と、剥き出しになって本体だけになった私は、どうしたらいいの?

 

体裁ってのほどがあるわけじゃないけど、「△△」だからやっていたできていた行動、「△△」だから知り合いだと言えていた人たちの話を、剥き出しの私にはできないことがあるし、

「△△」は出さなかった、持っていなかった、本体の私にある考え方だとか話せる背景だとかもある。(例えばそれこそ高校までの話とかね)

 

 

救いとして、最近今年になってから、ツイッターのアカウントを消す直前後から、本体の私の中でも一部のことを話しだしに、大学の学生相談所に通って行きつけ(あちら向こうの言葉では担当員という)のおばちゃんに話をしてることがあるから、そこはまたリアルの中でも仕切りで囲まれた空間ができてるんだけど、

私が今までこんな風に慣れてきたからなのか、世の皆もまあそうなのか知らんけど

生身そのままの私で何でも誰でも対応するには、私の人間のコミュニティは多域過ぎるよ。

 

単に「名字+さん」ですか?とかって言われても、

どこの人ですか?私のどの情報を握った状態でしょうか?

て困惑してしまうし、話し方が分からないからこわい。全部の話すりゃいいじゃんて言うかもだけど、そんなに広く自分の話をすることってそんなにふつうないだろうし、話そうと思っても労力とか時間とか余裕ないし。少なくとも私はない。わざわざ「ブログでは○○ですー、そっちのお知り合いですか?」とか言って「は?知らんけど」とか言われたらまるっきり無駄だし悲しいじゃん。なんか。

 

 

じゃあまた今の知り合いを区分けする人格作ればいいじゃんとか、「ツイッターの△△さん」をそのままスライド継承するアカウント作ればいいじゃんとか思うけど、

私が今まで人格をつくってきたときは、勉強の関わりの人と繋がりたいだとか、大学の情報を収集したいだとか、積極的事由があるときだったんだよね。それも実利に直結する。

 

今は新しいコミュニティを作りたいとか全く新しい人たちと繋がりたいとかがないし、なくて困ってるって消極的事由だけじゃ今の自分には、作って繋がりをある程度広めて、自分の中で消えない一つの人格として保たせるまで頑張りができない。

てか頑張りができない時期になったからツイッターも消したんだよ。これは初出だし今回と直接関係ない話だけど。SNSとかで一つの人格、それもそこそこアルファのを作るってけっこう手間。

 

それで結果、どうにもこうにもできないまま、

「△△さん」として私の中にあった人付き合いと、他の人たちが持ってた、「△△さん」としての私の像が宙ぶらりんになってしまった、と思ってる。私の中では。

この思ってる私が本体の私としてなのか、上から見てる死んだ「△△さん」の意識の残像がなのかは、自分でもまだわからないので、いつか続くかもしれない次項へ譲ります。