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しこうの おどうぐばこ

私の嫌いな「男女分け隔ての無いサークル」

 

 

 

これは半・私のサークルの鎮魂歌である。

※別に私のサークルは今のところ健在であり、例年通り各学年10年前後で活動しているし特に不祥事もない

 

 

 

私のサークルは各学年、女子は全体10人程度のうち一定して1人いるかいないか、という感じの濃度バランスである。割合で行ったら女子率10%にはなるものの、その10%分を1人の人間が握っているので、学年によって色はまあまあ異なる。(本当に音楽のこと以外何も話さずただ酒を飲む学年、誰よりも暴れる学年、ふつうに同期と付き合う学年、なんやかや退部して0%を生み出す学年、等...)

 

ただまあいずれにせよ時を経てここ数年変わらないのは、"学年を超えた全体のなんとなくの雰囲気"である。なんかすごい適当なこと言ってごめんね読んでくれてるみんな。

 

毎年だいたい1人しかいない、少なくともめっちゃ貴重かつ稀有な人材であるならば、女子はそれはそれは毎年全員崇められているかと思いきや、数は数、多数決は多数決である。男が9いるならば、女の1の意見は少数派に他ならないのである。基本的に、長いものには巻かれた方が便利だし、価値観的には多数と共鳴した方が、たのしい。

そんだもんで、別に強制力が働いているわけでもなく、女子といういきものも、普通に学年全体の話に「学年の一員」として入り込んで、「学年の一員」として意見形成を担っていることが多い。

こういうと燃えそうだけど、一番当たり障りなく言えば、「*女子」として意見を発信することはなく、あくまで「学年の一員」「部の一員」として自然に溶け込んでいる、ように思う。言葉が足りないのは各人にお任せするしいやそりゃおかしいだろって思ったなら言って来てほしい。

 

 

それを一番表していると思ったのが、GWに開催された弊団体定例BBQの集合写真である。以下図では、対象とした集合写真の男性部員立ち位置を緑丸、女性部員立ち位置を赤丸で模写した。

 

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私はこの集合写真を見たときにハッとするところがありこの稿を残すに至ったのだが、言葉でその感を描写するよりも、それまで私が大きな得体の知れない違和感を抱いていた、(私にとって)典型的な「学内男女混成サークル・団体」の集合写真イメージ図を比較参照いただきたい。なお、男女の表式図法は上記に則る。

 

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※これは私の今までの人生経験上目にして来た幾つかの例の模写図に過ぎず、またその個別名をいちいち列挙することにはプライバシー権も関わると思ったため敢えて割愛する。従って本論考特に以下の部分において科学的論拠は一切無いと言っても等しい。暇な人はつづきも読んでね。

 

 

私の感想である。

...女を並べて何が「男女混成」だ。

 

そんなもの女が存在することの示威行動に過ぎん。「うちの団体にはこれだけ(学内)女子がいます、だから女子もたくさんいるし男女共生であり交流も十分に行われています。」

 

このような主張をこういった団体は企図しているのではないか、とこのような構図の写真を見るたび私は邪推するのだが、そもそも

女性構成員(の存在)を誇張する配置をしておいて、よくも「共生」をぬけぬけと謳うものだ。

 

そもそも共生、男女機会平等は、男女が分け隔てなく、双方が性に由来する差別を一切何ら受けることなく、その区分が無かったと仮定した場合と同様な待遇を享受している状況を指し示すのであって、「*標準的状況では差別されることが仮定されるグループ・団体が存在・生存し延いてはその事実を強調することが抵抗なく受容される(と第三者から捉えられるような扱いに一部グループ・団体が甘んじている)状況」を然も該当集団が意識的に演出する状況は、その本来の企図からは大きくかけ離れたものではあるまいか。

 

たとえ現状況において一方の性が少数であるとしても、その性グループが団体内に存在している、発言権を持っていることを、affirmativeに押し出すことによって逆に利用しようとすることは、翻ってそのグループの劣位性・マイノリティを逆手に取ろうとしている行為に何一つ他ならないと、私は思うのである。